宮沢賢治「銀河鉄道の夜」 感想

前々回に引き続き、しくじり先生でオリラジの中田さんが授業で紹介していたのをきっかけに読みました。幼いころに読んだことはあったりしましたし、中学の時にも接点はあったのですが、どちらにしろよく分からなかったって感想しかなかったです。でも、しくじり先生を見てあんなきれいな光景の話だったんだとびっくりしました。

宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」

豊かでなく、イケてないジョバンニ君が、いけ好かないザネリのせいで自分が友達だと思っていたカンパネルラが死んだことを知るまでの話です。多分。

感想

読みました。読みましたけど、やっぱり苦手です。状況説明がだらだら長くて疲れます。いや、これが文学という方もいるんでしょうけど私とは相性最悪です。

しくじり先生では舞台は岩手県と言っていましたが、どこからわかるんでしょう。私には分からなかったです。

それにしても、ザネリ君。君はいったい何がしたかったんだ。クラスメートをいじめる、余計なことをして人に迷惑をかける。君って奴はいったいって感想しか浮かばない。けど、カンパネルラを含めた仲間を従えているところを見るときっと何かしらのいいところがあったんでしょう。ジャイアンみたいな感じですかねえ。私はあんまり好きじゃない。

次に、カンパネルラ君はほんとにジョバンニ君のことを友達だと思っていたのでしょうか。前は確かによく遊んでいたのかもしれませんが、ジョバンニ君が遊べなくなってからは疎遠になっていたっぽいですが。ジョバンニ君から見れば、遊んだ思い出のある友達なのかもしれませんが、カンパネルラ君から見れば、昔遊んだ昔の友達くらいなのかなと感じました。ジョバンニ君の中では止まっているかもしれませんけど、カンパネルラ君の方は日々新しい友達と遊んで更新し続けていたんですから。

ちなみに、カンパネルラ君はザネリ君を助けて命を落とした、つまり善行をした風に描かれていますけどちょっと疑問です。誰かを助けることは善行だと思いますが、命を引き換えにすることが一番良いことというのは受け入れられません。カンパネルラは母の幸せといいますが、本当にこれで幸せと思えるでしょうか。そんな母親いるでしょうか。どうやら、幸せについての作品のようですが、自己犠牲による善行が相手の幸せと言えるでしょうか。もし、本当に相手がその人を思っていたなら、犠牲になったその人を見て本当に相手は幸せと思えるのでしょうか。私なら思えないけどなあ。

最後に最大の疑問です。ジョバンニ君はなぜ銀河鉄道に乗れたんでしょう。死んでないのに。うーん。やっぱり相性悪いのかな。作品の良さが私には結局よく分からなかった

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