「テセウスの船」を読みました

今回読みましたのはマンガの「テセウスの船」です。

今クールで、日曜劇場で「テセウスの船」が放送中ですが、このドラマを見て興味を持ち、原作を読んでみました。最後が気になる性質なんです。特に犯人。早く全部知りたいタイプなんです。

いつもどおりちょっとネタバレしつつ感想を書いていこうと思います。

テセウスの船

警察官で殺人の罪を着せられた父を持つ息子がタイムスリップを繰り返して、犯人を捕まえて、家族の人生をやり直す話だと思います。

感想

とても読み応えのある作品でした。

もともとドラマを見て興味を持ったのですが、

まず、ドラマとマンガ両方の冒頭にでてくるテセウスの船の話にとても衝撃を受けました。テセウスのパラドックスというものらしいですね。すべて部品が変わってしまっても、それはテセウスの船といえるのか。

私個人の考えでは、その対象が物である場合、対象を見る人の心次第なのではないかと思います。そして、対象が人であった場合、自分が自分であると思えれば同じなのではないかと思います。しかし、過去が変わった場合はどうでしょう。

これをこのマンガにあてはめた場合、対象は「田村心」であり、その周りのすべての人々はないかと思います。

村に住んでいた人々は、自分が自分であるという確固たる人格をすでに持っているので、同じであると思えます。確かに、人が自分自身を形作っているものは遺伝子を基本にしつつも、経験によるものも大きいです。タイムスリップした際に昔の自分の家族がこんなに明るかったのかと田村心自信が驚いています。しかし、自分が自分であれば、経験が違っていても自分自身の指針において判断して生きている以上自分であると言えるのではないかと思います。

しかし、対象を「田村心」とした場合、最初の「田村心」と最後の「田村心」が同一であるかというのは、残酷ですが厳密には違うと思います。田村心については、当時未だ生まれていなかったので、確固たる人格を持っていません。しかし、特に事実を知る父にとっては、田村心と連れてきた婚約者という存在自体がとても大きく、意味のあるものであると思います。

また、田村心と父親は、犯人探しと事件を防ぐことに奔走しますが、そううまくはいきません。何度もやり直してもうまくいかない。

当然ですよね。それが現実です。人間はたくさんの人のたくさんの思惑の中で生きています。こちらを解決したら、あちらで問題が起きる。田村心と父親が事件を防ぎ、解決したいと思うのと同じように、犯人もやりとげようとやっきになる。その他の人もその他の人で自分のやりたいことをやろうとする。そして、田村心がタイムスリップできるのなら、他の人だってできないわけではない。それぞれの思惑と思いが交錯する。現実だなと思いました。

好きな作品でした。ドラマも引き続き見ようと思います。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク